|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 鈴 : [すず] 【名詞】 1. bell ・ 木 : [き] 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber ・ 友 : [とも] 【名詞】 1. friend 2. companion 3. pal ・ 政 : [せい, まつりごと] 【名詞】 1. rule 2. government ・ 政治 : [せいじ] 【名詞】 1. politics 2. government ・ 政治家 : [せいじか] 【名詞】 1. politician 2. statesman ・ 家 : [いえ, け] 1. (suf) house 2. family
鈴木 康友(すずき やすとも、1957年8月23日 - )は、日本の政治家。静岡県浜松市長(3期)。元衆議院議員(2期)。 == 来歴 == 静岡県浜松市生まれ。浜松市立蜆塚中学校、静岡県立浜松北高等学校、慶應義塾大学法学部卒業。大学卒業後、松下政経塾に入塾し、1985年に卒塾(第1期生)。松下政経塾の同期に野田佳彦(第95代内閣総理大臣)、逢沢一郎(自由民主党衆議院議員)、横尾俊彦(佐賀県多久市長)、小野晋也(元衆議院議員)、岡田邦彦(ハーバード大学ケネディスクール研究員)らがいる。その後企画会社、コンサルティング会社を経営する。 1999年、北脇保之衆議院議員が浜松市長選挙に出馬するため辞職。同年4月11日に行われた衆議院静岡県第8区補欠選挙に民主党公認で出馬したが、自由民主党元職の塩谷立に敗れ、落選した。 2000年、第42回衆議院議員総選挙に静岡8区から出馬。前回敗れた塩谷を破り、初当選を果たす。2003年の第43回衆議院議員総選挙では、静岡8区で前回下した塩谷に敗れるも、重複立候補していた比例東海ブロックで復活し、再選。2005年の第44回衆議院議員総選挙では、静岡8区で再び塩谷に敗れ、比例復活もならず落選した。 2006年12月、翌年4月の浜松市長選挙に出馬する意向を表明した。鈴木の擁立は当時の浜松市長、北脇保之に反発する鈴木修(スズキ会長、第1次浜松市行財政改革推進審議会会長)ら浜松経済界の意向によるものであった。2007年4月8日、浜松市長選挙で現職の北脇市長らを破り、当選を果たした。鈴木が獲得した203,923票に対し、北脇の得票数は192,293票であり、11,630票の僅差での辛勝であった。 2011年3月27日告示、4月10日執行の浜松市長選挙に出馬。立候補を届け出たのが現職の鈴木のみであったため政令指定都市では史上初の無投票で再選を果たした〔「浜松市 新産業創出に意欲 ― 無投票再選 鈴木市長に証書」中日新聞(中日新聞東海本社)2011年(平成23年)4月12日付朝刊 22面(浜松・遠州版)〕。2015年4月12日、日本共産党推薦の候補を破り、3選〔’15統一地方選:静岡市長選、田辺氏が再選/浜松市長選、鈴木氏が3選/浜松市議選、新議員続々と /静岡 毎日新聞〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鈴木康友 (政治家)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|